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  1. (via mitaimon)

  2. エンジンからモーターへ、ガソリンから電気へと変わることで、クルマの本質ははっきりと変わっていく。ガソリンエンジンは「荒ぶるマシン」であり、ドライバーが身体技術でこれを制御し飼い慣らすことでスピードを我がものとし、「行く」という制動性を謳歌することが出来た。一方で、電気で動くクルマは「行く」という主体性よりも「スムーズに移動する」という合理性への希求と表裏の関係を持つ。それはエンジンを制御するという運転の美学を抑制し、あらゆるところにトランスポートしたいという欲求、すなわち「移動」を最短、最小エネルギーで実現したいという冷静な意欲によって運用されるマシンである。居眠りをしている間に到着、という状況すらこのシステムは積極的に受け入れる。要するに、技術のシフトに呼応するように、移動技術は、運転への能動的な欲求を背景とした「ドライブ」系から、移動への冷静な意志に寄り添う「モバイル」系への移行がおこると予想される。
    移動のための「モバイル」は、空気のように日常に寄り添う存在であるため、最も必要であるのにもかかわらず、人間の強い所有欲やあこがれの大賞にはならない。しかし巨大かつ無意識に希求されるものこそ産業の本質であるから、クルマ産業の中心はここに確実に移行していくはずである。移動のメインストリームは、個人のものから都市インフラに近いものへと変わっていくだろう。
    一方で、そうした状況をつまらないと感じる、スポーツカー好き、エンジン好きも末永く存在するはずだ。だから、比重は小さくなるものの、ドライブ志向のクルマは、移動への主体性の象徴としてその輝きを失うことはないかもしれない。しかし進歩の速度が緩やかになるために、エンジン車は危険と隣り合わせの趣味性の高い乗り物になる。道路に引かれた白線という約束のみを頼りに、ミスの多い人間に運転のすべてをゆだねていた時代があったという事実に、やがて人々は戦慄を抱くようになるわけで、そうなると、エンジン車をドライブするような命知らずの行為にはなかなか戻れない。したがって、エンジン車でのドライブに誘って、すんなり同乗してくれるとすれば、それは強い信頼の証で、とてもロマンティックな出来事になる。
    他方では、レジャービークルなどは、自然志向の高まりと共に更に進化していくだろう。人為の痕跡もないような極まった自然の中に、先端テクノロジーを駆使してぽつりと存在したいという衝動は、理性に自負を持つ人間の根源的な欲望のひとつである。植民地文化の華やかなりし時に、西洋人がことさら極まった野性的環境の中で、白いテーブルクロスと、白服の給仕係をともなって、フルコースの食事をしたがった心性も同じ動機に起因するものだ。電気がエネルギーとなるなら、キャンピングカーなどはさらに高性能化していくことが予想される。クルマが移動ツールのみならず情報ツールとしてのコミュニケーション性、さらに移住性や娯楽性を高めていくため、性能のいいクルマを手にすれば、家も持たず、自然の中で暮らし、仕事もするような人も登場してくるかもしれない。こういう局面では法整備も必要になってくるだろう。
    都市部では、全体制御により渋滞が緩和され、排ガスの問題も軽減する。運転免許は特殊なクルマに限定される。常に孤独に見せられる若者たちは「一人用マシン」に注目しているかも知れない。自転車や一人用ビーグルは新しい移動技術の流行を作るだろう。すべての移動技術は速度を別にすれば「歩行」の自立性に近づくはずだ。
    産業全体としては、「乗用車/商用車」のような区分ではなく、「ドライブ/モバイル」「都市/自然」「パブリック/パーソナル」というような要因が、新たな領域区分として意味を持ちそうである。
  3. hamburg55:

    今野杏南

    (via ibi-s)

  4. bgnori:

    https://twitter.com/yumirume_/status/522211279088279555
    埼玉のご当地キティを見て泣いてる。ただのギャグじゃねえか…なんもないんだな埼玉…

    (via ibi-s)